ソフトテニス観戦記

ソフトテニス観戦記、コラム

鹿島鉄平選手ヨネックス退社と社会人ソフトテニス界の闇

鹿島選手が今年度一杯でヨネックスを退社することが決まりました。
今後は故郷宮崎に帰ってソフトテニスを続け、決して引退ではないということですが、この世代を象徴する選手の一つの時代が終わったのかなあと。

話はそれますが、昨今では大学生が社会人の混じったトップクラスの大会で活躍するのはもはや当たり前の時代になりました。特に、大学生の間に天皇杯を二回取り、全国シングルス選手権で3回優勝した船水選手は学生優位の今を象徴する選手と言えるでしょう。
また、トップクラスの大会の上位を大学生が独占することも珍しくはなくなりました。

加えて、高校生の活躍も目覚ましいです。
早稲田大学の上松選手は高校時代にアジア選手権、東京インドアを優勝し、天皇杯もベスト8まで残りました。
2015年、2017年の天皇杯ではそれぞれ内本・丸山ペア、上岡・広岡ペアがベスト4に進出しています。

しかし、一昔前は学生が社会人相手に勝ち、大会上位を独占することや、高校生がトップクラスの大会の上位に進出することは異例とまでは言いませんが、珍しいことでもありました。

例えば、2003年の天皇杯では、当時のインターハイチャンピオンであり、同世代と比較しても圧倒的な強さを見せていた的場・宮下ペアは、大ベテランの北本・斎藤に5-1で敗れています。2000年代前半まではインハイ・インカレのチャンピオンクラスでも社会人トップクラスには分が悪かったのです。

しかし、この流れを変えた世代がありました。
それが、平成元年前後に生まれた世代であり、具体的には、後衛なら鹿島選手、石川選手、村上選手、前衛なら柴田選手、中本選手、井口選手、塩嵜選手、長江選手です。そして、その世代の中心にいたのはまちがいなく鹿島選手でした。

中学生で日本一になった鹿島選手は、2006年、井口選手とのペアで高校生ながら天皇杯ベスト4に進出します。前年にも寒河江・森田ペアが高校生ベスト4を達成しているものの、日本代表だった浅川・香川を倒してのベスト4進出は、やはり当時としては異例の活躍でした。
その後早稲田大学に進学し、2007年には全日本シングルス選手権優勝、2008年には塩嵜選手とのペアで30年ぶりに学生として天皇杯を優勝しました。この時の決勝の相手は同じく大学生だった石川・中本ペアです。天皇杯の決勝が学生同士の戦いとなったのは、自分の知る限りだと近年ではこの時だけです。また、この年の全日本インドアの決勝も同ペア同士のカードとなり、こちらは石川・中本ペアが優勝しています。
この他にもインカレ団体戦で4連覇を達成するなど、大学黄金期だったこの世代の中でも圧倒的な戦績を収めました。

今の強い大学生の流れを決定づけたのがこの世代であり、鹿島選手だったのです。

さて、大学を卒業しヨネックスに入社した鹿島選手はどうなったのか。

まったく勝てなくなりました。

まったくというと語弊があるかもしれませんが、少なくともトップクラスの大会で優勝することは一度もなくなり、上位進出がたまに、一回戦負けすら目立つようになりました。

また、飛躍を期待されたこの世代でも、社会人になってから活躍したのはNTTに入社した長江選手、村上選手、最近復活の兆しを見せている柴田選手くらいで、他の選手はだんだんと日の目を見なくなっていきました。

鹿島選手が勝てなくなった詳細な理由はわかりません。ケガや長期的なスランプがあったのかもしれません。
ただ、鹿島選手と同じように、学生時代に活躍したにもかかわらず社会人になってから名前を聞かなくなった選手はとても多いです。

ソフトテニスにプロはありません。実業団に入っても一日の半分は仕事で費やされ、学生のように練習はできません。各企業や県庁に所属している選手がどの位練習に打ち込めているのかは分かりませんが、少なくとも学生の時のように、ソフトテニスだけに集中することは難しいはずです。
学生時代に活躍した選手達が社会に出て消耗し、勝てなくなっていく。
今のソフトテニス界は本当に夢の無い世界なのかもしれません。